
日本には修験道という独特の文化があります。森羅万象に神が宿るアニミズムと仏教と山岳信仰が融合したものだと言います。主に密教の教学を積みつつ、滝行や断食などの荒行を積み霊力を身につけ、修験者(しゅげんじゃ)のことを山伏(やまぶし)といったり、霊力を持つと天狗(てんぐ)と言ったりします。『日本書紀』舒明天皇代、空を轟音で流れる星を唐から帰国しあ学層が天狗だといったという記述がみられます。京都の鞍馬山には650万年前に金星から降り立った魔王の伝説があり、日本有数の修行場となっており、歴史の折々に鞍馬の天狗が登場しとても有名です。この度「天狗の社」古峰神社参拝したのを機に、天狗について掘ってみようと思います。開運ライフに役立てていただけたら幸いです。
天狗とは
天狗の種類
天狗さんは主に3種類に分かれます。
古峰神社奉納額
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鼻高天狗(はなたかてんぐ、大天狗)/鼻が高く、顔は赤く、一本歯の高下駄をはいてジャンプし、翼をもって空を飛翔する。金剛杖をもち、羽団扇を持っている。9枚11枚13枚の羽根ををもつ羽団扇で、雷雨、風、火災を起こし人心を操る呪力を発揮します。翼をもたないものが飛行することも可能になる。
頭にトキンという経文を入れた黒い箱を被り、袈裟とすずかけ(麻の法衣)、お念誦など修験十六道具といわれるものを身につける。
出典元:Wiki
烏天狗(からすてんぐ、小天狗)/くちばしがある、顔は青か緑、鳥に近い顔で翼をもつ。上から下まで真っ黒の装束。「古い天狗」とされる。中世ごろの主流で天狗と言えば烏天狗のことを指した。インド神話に登場する巨鳥迦楼羅(かるら)は金色の翼をもち頭に如意宝珠、火焔をはき、龍を常食とするというこの神の変化であるという。飯縄権現、高尾山などにいる。
出典元:Wiki
木の葉天狗(このはてんぐ、境鳥、白狼)/人と似た手足、くちばし、翼、尾羽をもつ。老いた白狼が天狗に変化したもの。まきを売ったり、登山者の荷物を担いだりして天狗の資金を稼ぎ、天狗の中での身分は低い。変化(へんげ)能力やある程度の神通力が備わる。
参考:天狗参上
修行を積んだ修験者である天狗
そもそも天狗とはいったい何者なのでしょうか。妖怪のような、人のようで人でないような不思議な存在の天狗さんですが、「日本八天狗」とか「四十八天狗」など実際に人間として修業をして霊験を表した方々の名ががあげられています。その名は例えば鞍馬山僧正坊(クラマヤマソウジョウボウ 京都府鞍馬山)とか秋葉山三尺坊(アキバヤマサンシャクボウ 静岡県秋葉山)、愛宕山太郎坊(アタゴヤマタロウボウ 京都府愛宕山)など、”坊”が付く修行を積んで一定の験力を身につけた僧や山伏なんですね~。天狗と呼ばれる山伏のエーテル体はあのように鼻高で翼をもつのかもしれません。
天狗になる修行って大変そうですが、どんな修行をすれば、岩を動かしたり、空を飛んだり、人の病を治したりなど験力を表せるようになるのでしょうか。
天狗さんの修行、修験道とは
修験道とは、森羅万象に神が宿るアニミズムと山岳信仰、そして仏教、密教も取り込んで生まれた日本独特の「道」で、役行者(えんのぎょうじゃ)が創始したと伝わります。深い山に分け入り厳しい修行を行うことによって「験力」を得て、山を下りた際に衆生の救済を目指す実践的な宗教だということです。神仏習合の信仰形態で、ご本尊には如来・菩薩・明王や権現などをお祀りしています。断食、滝打ち、火渡り、床堅(座禅)、忍苦の行など、修験者の修行は命をも掛けた過酷な苦行ともいわれます。
天狗さんはどんな人?
霊験力は、苦行の末に手に入れるものです。そのためか、眼光鋭く、厳しく、神前にて礼儀をわきまえないものには容赦なく罰を与えるともいわれています。無礼な参詣者をその霊力で山から岩を落とし下敷きにして無き者にしたなどという物騒なお話も残っています。プライドが高く、鋼鉄のような鼻っ柱を持っていると理解しておいたほうがよさそうです。山中に聞こえる天狗の高笑い、石がバラバラ飛んでくる天狗つぶて、山小屋などが夜揺れる天狗ゆすり、天狗火、遠くの山から聞こえる天狗の太鼓などさまざまな怪異現象を働いて人を驚かして喜ぶ気質があるようです。とはいえ、一度お会いしたことがある山伏さんは街にいるときは真摯なビジネスマンでした。勉強熱心な努力家であることは確かですし、一人一人能力も性格も違うのは当たり前でしょうね。人を驚かして喜ぶような天狗は、ある意味小物なのでしょう。時には、神の使いとして烏を使って天候を変えたりすることができます。
古峰神社の天狗
前日光の古峰神社は、天狗の社と言われています。古峰神社でアートな天狗の御朱印が有名になり、押し寄せた観光客に傲慢な態度を受付でされるということを小耳にはさみました。本当に”天狗”が乗り移ったのでしょうか。古峰神社の天狗さんってどんなかたなのでしょう。HPの由緒によれば「隼人」という人が京都からきてヤマトタケルノミコトのご神威を慕ってこの地に遷座したとあります。勧請ではなく遷座とあり、隼人が京都でもともと祀っていたお社をこちらに遷したということです。
古峰神社と「薩摩隼人」の関係は?
隼人といえば、薩摩隼人ですよね。薩摩隼人が移住してきた京都の地域で思い出されるのは伏見です。伏見稲荷神社の社地に神寶神社(かんたからじんじゃ)がありますが、お守りの一つに隼人の盾をデザインしたものがあります。薩摩隼人が九州から京都に移住しその付近の神社にヤマトタケルをお祀りしていたのかもしれません。今から1,300年前の創建ということは丁度古事記が編纂されたころでしょうか。天智天皇から天武天皇へ、そして持統天皇へと代替わりするはざまで日本が大きく動いた時代です。天狗さんの世界もあっちとこっちに分かれて戦い、破れたり勝ったりしていたのでしょう。
隼人盾のお守り
隼人(熊襲)とヤマトタケルノミコトも深い因縁があります。ヤマトタケルノミコトは東征して日本を日本を平和に導いたのですが、その前に、九州の熊襲退治に駆り出されていました。見事に図って相手を討つ直前、敵の首長であるクマソタケルは、自分より賢く勇敢であることを讃えて「タケル」という名をヤマトタケルに与えています。そういうことがあって九州にもヤマトタケルノミコトを祀る神社は多いです。九州でも英雄として人気のある神なのです。薩摩に居住する隼人の一部が何らかの理由で京都へ移住し、その後栃木に移住したということはありえます。古峰神社を創建したのはもともとは九州にいた人々だったと考えられないでしょうか。古峰神社を拠点にしたのは九州をルーツにもつか親和性のある天狗なのかも・・・と思っていたら、実はこの隼人という人には苗字がありヤマトタケルの臣下であった「藤原隼人」だということです。(フジワラ???)隼人の子孫はその後石原を名乗り「隼人」は通称になったとか。
日光を拓いた古峰ヶ原の勝道上人と日光東照宮建設に尽力した古峰ヶ原隼人坊
古峰ヶ原は勝道上人という方の修行の場となったようです。勝道上人は地元栃木の出身で、782年47歳の時に日光山登頂に成功し日光を拓いたと言われるお坊さんです。天台宗や華厳宗の流れを汲んだ修行を重ねられていたと伝わります。この方が日光開山まえの3年の修行を古峰ヶ原で行いました。その後これに倣った僧や修験者の日光入山宿坊となり「天狗の社」古峰神社(奥院)としての名を広めたということです。
江戸時代には天狗使いの前鬼石原隼人、後鬼石原水主(分家)として名を馳せ古峰ヶ原隼人坊とか日光隼人坊として、関東東北の大天狗として鞍馬山・愛宕山・秋葉山などと同様に著名であったとされます。参考:観光FUN
江戸時代、日光に東照宮を建設する際、日光山にいる数万ともいわれる天狗たちが騒がない様、一時退去させるということがあったと言います。その際に幕府側書面に連名したのが古峰ヶ原隼人だったということです。数万の日光天狗を相手に納得させるほどの大きなチカラを持っていたことは想像に難くありませんね。日光一帯の世界遺産の中核となった東照宮の建設はこのようなことがあって実現したのですね。
日光には日光山東光坊(ニッコウザントウコウボウ 栃木県日光山)や後に妙義山に移った妙義山日光坊(ミョウギザンニッコウボウ 群馬県妙義山)などの大天狗が名を連ねますが、古峰ヶ原の大天狗は独別な位置にあったと言えそうです。
日月神示が降ろされた麻賀多神社(まがたじんじゃ)と古峰神社
神社の創建には、ご神託によるものが結構あります。ご神託により戦局を切り開くということもありますし、政(まつりごと)はご神託ですすめるというのは古代から日本にあるスタイルです。科学万能なってそうしたものは「非科学的」「根拠がない」などと知性と理性による政治がおこなわれて久しいのですが、昭和になって重要なご神託が降りたとして著名になった『日月神示』は千葉県成田市にある麻賀多神社にて降ろされました。
麻賀多神社を守るのは高さ40mもある大天狗だとする記述があります。よくよく読んでいくと、この大天狗はこの麻賀多神社を首都東京を守る拠点としており、日本全国の山を高下駄で一足飛びに飛び回ることができ俯瞰しまもる力を持っている大きな存在だとしています。麻賀多神社には多くの境内社があるのですが、中に三峯神社と古峰神社が鎮座します。このことから日本を守る拠点の麻賀多神社。その鎮守の森にいる天狗さんは古峰神社の天狗さんではないでしょうか、と参拝した当時直感しました。
当然一体ということではなく、三峯神社の天狗さんもいらっしゃるようです。
祝詞をあげている間、この世のものではないような美しい鳥のさえずりが聞こえてきました。この木の下にいると、まだ肌寒い3月でしたが、天頂が熱くなっておもわず見上げてしまいました。天狗さんのまばたきでしょうか。
『日月神示』は大東亜戦争中におろされ、日本のこれからのこと世界に起きることなどが語られています。語り主は艮の金神といい、クニトコタチノカミともされるのですが、お使いとして日本をひとまたぎにする麻賀多神社の大天狗さんがいるのではないかという見かたもあります。
で、日本に一体しかいないという麻賀多神社の大天狗さんは、境内社古峰神社にゆかりの天狗さんに違いないと考えられます。そのような大きな天狗さんの指令に、従わないわけにいかないのでしょう。日光の東照宮は無事に実現したということのようです。
『日月神示』第28帖にこのような一節があります。
悪の神も元の〇に点の神のしくみを九分九厘までは知っていて、
天地ひっくり返るおおたたかいとなるのざ
残る一厘はだれもしらぬところに仕掛けてあるが、
この仕組み、こころでとりてくれよ
ココには「隠された神一厘のしくみ」をしり、世界がひっくり返ると語られています。この神託を守っていたのが古峰ヶ原の天狗だと考えられます。すごい方なのですね。ここまで調べてきて感じることは、天狗の中には災いをなすモノもあれば、世のため人のために神の使いとして働くモノもあるということです。当然ですが一言で天狗と言っても霊力の差があり、まさにその霊力によって驕りが出て、人を馬鹿にし驕り高ぶって”天狗”になるものもたくさんあるのでしょう。魔王となる者も出現し、衆生救済を本願とする大乗仏教を納めるものからは「落ちこぼれ」として扱われてしまいます。磨いた霊力が「人にとって良い働きか、そうでないか」「悟りが高いか、低いか」「霊格は高いか、低いか」と問われたとき、千差万別、玉石混交というのが正直な感想です。
ところで、「天狗の社」でなくともお祭りで天狗さんが登場することが神社にはよくあります。神社によっては渡御(とぎょ)のご神事をおこなうところがありますが、これは神様が通常鎮座する神社から他の神社へとお渡りになるお祭りです。そのような時、先導する神「サルタヒコノカミ」は天狗の形相を表すことが多いのです。
猿田彦神(さるたひこのかみ)と天狗
神社の渡御祭事に先導する神として天狗がよく登場します。これは、天孫降臨の際に天孫を先導する神、猿田彦神のお働きだからです。ゆく道の分かれ道に居て正しい方向を指ししめすサルタヒコの容姿は『ホツマツタヱ』には次ように説明されています。
『ホツマツタヱ』に登場するサルタヒコ
『ホツマツタヱ』24アヤ
おとたまかわの しらすなに
ひるねしておる ちまたかみ
みのたけそなた つらかかち
はなたかさなき めはかかみ
おとたま川の白砂に昼寝している岐神の身の丈は「十七尺(3.82m)」。一般的な当時の人の身長が八尺ということですから、倍ぐらいの大きさです。顔はてらてらと赤く光り、鼻の高さは16㎝もあり特筆しています。目は鏡のようにらんらんと目の前の人を映し出していたのでしょうか。たしかに、天狗のお面をイメージする表記です。これを見た天孫ニニキネの屈強な家来たちもひるんだとあります。
猿田彦神はこの時初登場していますが、どこの馬の骨とも出自(しゅつじ)のわからない神です。古事記では「国津神」と自己紹介していますが。天津神の天孫を導くために唐突に現れたのです。猿田彦神のアマテルカミへのリスペクトはすごくて、天孫を導いた後、自ら開墾した高島の地は天孫にゆずり自分は伊勢にいるアマテルカミの近くに移住していきます。アマテルカミが神上がるときなども穴を掘らせたのは猿田彦神でした。ヤマトヒメが御杖代となったとき、遷宮の場所を教えて預かっていた神宝を渡したのも猿田彦神でした。アマテルカミの信頼が厚く、そしてとっても長生きの神だったようです。
伝わる人となりはとてもやさしく素直で賢くお神楽の創始者であるとの記述もあります。
どうやら、日本の天狗の原点には猿田彦神あり!という気がしますね。猿田の名の由来は「猿を治める」ことだとこちらにはあります。猿の親分?いずれにしても猿田彦神は「何者???」
猿田彦神とノアの箱舟
ノアの箱舟のお話をご存知でしょうか。
『旧約聖書』創世記6章~9章
神は地上に増えた堕落した人々をみてこれを洪水によって滅ぼすと、神と共に生きる御年600歳にもなるノアに告げ、ノアに箱舟(はこぶね)をつくるよう命じた。箱舟の大きさは長さ133.5m×幅22.2m×高さ13.3mという巨大なもので、ノアと妻、三人の子どもとそれぞれの妻、すべての動物がつがいで乗り込んだ。その後雨が40日降り続き、地上の生き物たちを滅ぼした。150日後水の勢いがなくなった後ノアの船はアララト山にとどまり、祭壇を築いて神に供物をささげた。神はノアと息子たちを祝福し、もう二度と洪水を起こさないことを契約し、証として虹を掛けた。
猿田彦神はこのノアの子孫だという話も一説にあります。考えてみればノアの箱舟はノアの家族とすべての動物が乗り込むには大きすぎる気はします。ノア自身も巨人ではなかったのでしょうか?ノアの大洪水以前の世界にはネフィリムという神と人間とのハーフで、身長3m以上の巨人がいたと『創世記』で記述されます。ノアはこの時600歳だったという記述ですが、猿田彦神も異常に長生きだったようですし、ノアの子孫というのは、ありえる話ではあります。猿田彦神がインドからやってきたのではないかという人もいますが、ノアの子孫だということは、アララト山付近が出身地であるのでしょう。アララト山を降りて、代が下るごと世界に散らばっていったと考えるならば猿田彦神の容姿の特徴である、赤い顔、高い鼻というのもほりの深い赤ら顔だとすれば納得です。
天狗のいで立ちや顔の造形が「ユダヤ人聖職者」にそっくりだという方もあります。ノアの子孫だという点からいえば人種的にはそうなのかもしれません。ただ、猿田彦神が天狗の元祖という考えから言えば、年代的にはまだ「ユダヤ人」は出現していません。ニニギノミコトと猿田彦神が出会ったのは、「ユダヤ人」の始祖ともいえるヤコブ/イスラエルの「ユダ」という息子が誕生した時点よりもかなり前の話になると考えられるからです。猿田彦神は『旧約聖書』に記述される時代よりずっと昔からシュメールの地に存在していたと考えられます。
猿田彦神の正体は最古の帝国建国者!?なぜ日本にやってきたのか
メソポタミアの最初の帝国であり、世界最古のアッカド王国が建国(紀元前2,350年~)されました。建国者はサルゴン(Sharru kin、正当な王という意味)。母は、子を産んではならない女神官で、秘密裏に産み落としユーフラテス川に籠に入れたサルゴンを流しました。水の画家アッキに拾われて息子として育ち、アッキの庭師となったようです。そしてキシュ王室の盃もちとなってやがて、王国の王となります。そしてシリアやカナン、西方へと版図を広げ、アッカド人とシュメール人の国を統一します。
このサルゴンが猿田彦神だという説もあります。
佐田彦大神(猿田彦大神)(さたひこ、さるたひこのおおかみ)さま
大山咋命様のご眷属さまです。
そして、拝火教のザラスシュトラでもあります。
ウガヤ朝では建玉天皇様、シュメールのサルゴンでもあります。
ご縁の方はたくさん居ます。#神社仏閣 #パワースポット pic.twitter.com/9wB5pOxjLe— わの世界 (@kotora888_Staff) May 11, 2017
サルゴンが建国した時代は、ノアの大洪水が起きたとされる紀元前2,800年頃から約450年後の事です。サルゴンの治世は2,279年まで続きました。亡くなってすぐ息子に代替わりしたとされていますが、実は、日本に渡ってきていた・・・ということでしょうか?アッカド人はノアの息子の中でもセム系で黄色人種に近いともいわれていますから違和感は少なかったかもしれませんし。とするならばそれは「紀元前722年(日本では神武天皇が立つ60年ほど前の時代)にイスラエルが滅亡して失われた、ヤコブの12人の息子の系統のうちの、その後の記述がない10氏族の一部がもしかしたら日本にもやってきているかもしれない」という話よりも、ずっとずっと昔のことになります。
もしそうだとしてサルゴンはなぜ、日本にやってきたのでしょうか。その辺りのくだりは『ホツマツタヱ』でも黙して語らずなのですが、猿田彦神はアマテルカミを慕っており、そして信頼を得ていることは伝わってきます。アマテルカミが皆に遺言を述べる際のこんなくだりがあります。
『ホツマツタヱ』28アヤ
またさるた むかしさつくる
さかほこき うつくしきすす
わいきたち かかんのんてん
ときまちて みちあらわせよ
猿田に「昔授けた三つの道具をもち、神託の時を待って道を表しなさい」と。これは倭姫が伊勢に巡る時を待て、ということを言っていると思われます。が、もしかしてモーゼの出エジプトを先導したり、シュメールの子孫(12氏族)が滅亡に際して路頭に迷ったときに先導せよ、ということなのでしょうか!?
そして、祝詞の創始者である春日大神・天児屋根命(あまのこやね)の命が消えたとき、猿田彦神が語るのを聞けば日本に来た理由が垣間見えます。
『ホツマツタヱ』28アヤ
「われつねにこふ たまがえし
おゐえとふたえ ひふみあり
いまわれひとり うけざると
ちぢにとくやむ」ときにかみ
めおあきいわく なんちよく
わすれずきたる みもすそよ
こふはこれそと さるたうけとり
とわんとす はやめをとちて
こたえなし
サルゴンは政治軍事を隠居して「たまがえし」を受け取るために日本に渡ったのではないでしょうか。アマテルカミから三つの道具を授かっていたことから一定の信頼は勝ち取っていたのでしょう。けれども奥義中の奥義については左の臣であるアマノコヤネに任されていたようです。猿田彦神は禊中にアマノコヤネの異変に感づきはせ参じて上記の言葉を掛け「たまがえし」の秘伝を受け取ったということです。
サルゴンは帝国主義を始めた人です。サルゴンはさらなる「皇帝(エンペラー)」の奥義を手に入れんとして皇(すめらぎ)の国に来日し、そして手に入れました。しかし、猿田彦神の子孫が天皇になったとかはついぞ耳にしたことがありません。若かりし頃は荒々しく野心の塊で、欲しいものは何でも手に入れたサルゴンは、和の国にやってきて「ゐせのみち」に恭順した、もしくは融和していったのだと読み取れます。
天狗は皇(すめらぎ)の奥義を使いこなす、神の使いとなったのです。天狗界は猿田彦神を親分として日本を守っているのか・・・と考えると心強いですね。
シュメールの征服者が求めた「たまがえし」と古峰神社のつながりとは
もともとは周辺諸国を征服し帝国を作り上げたサルゴン(猿田彦神)は皇の奥義「たまがえし」を求めて日本にやってきた、という仮説を述べてきましたが、古峰神社の天狗「古峰ヶ原隼人」はもしかしたら薩摩隼人の末裔ではないかということも前述しました。そして京都の神寶神社(かんたからじんじゃ)にある隼人盾のお守りがあるところから、神寶神社と隼人の関係が匂ってきます。神寶とは「十種神宝(とくさのかんたから)」のことです。「十種神宝」とは、天孫・天火明命(あめのほあかりのみこと)がアスカの地に赴任した時にアマテルカミから授かった神宝のことです。これは皇室にしか引き継がれない奥義中の奥義なのです。
十種の中身は『ホツマツタヱ』によれば「おきつかがみ」「へつかがみ」「むらくもつるぎ」「うなるたま」「たまがえしまた」「ちたるたま」「みちあかしたま」「おろちひれ」「ははちしむひれ」「このはひれ」の十種です。この中に「たまがえしたま」が含まれており、これを猿田彦神はこい願って受け取ったということです。「たまがえし」の秘術を完成させたのは天児屋根命の父で、言霊の神とされる方です。猿田彦神は言霊の家元から直接伝授を受けたということになります。このとき「神一厘のしくみ」に触れたのかもしれません。
もし、古峰ヶ原隼人がこの皇の奥義の伝授を受けていたとしたら、それはものすごい力だということが解ります。日光に数万いる天狗たちを束ねるなんてお手のものでしょう。
十種神宝はその後、正式に皇位を継ぐ者としてニギハヤヒーウマシマチから神武天皇に献上されます。
ここで気になるのは「神武天皇と猿田彦神の関係はどうなっているのか」ということです。
十種神宝を手に入れた神武天皇の出自
『ホツマツタヱ』の系図によれば、ニニギノミコトの孫にあたるウガヤフキアワセズと、上賀茂神社にご縁のカモタケツミの娘タマヨリヒメとの間にできた二番目の皇子がカンヤマトイワレヒコということです。15歳のときに宮崎で嗣のあかしを賜り、そのまま九州に居ついたという記述です。イワレヒコに従っていたアメタネコは国を治めるための百の文を預かりました。それを蔵に納めていたが、それを盗み写した人がありました。ナガスネヒコというニギハヤヒの臣です。その横暴を止めようとカンヤマトイワレヒコは大和を目指し、百の文を守っただけでなく、ニギハヤヒが初代アスカ宮から受け継いでいた十種神宝も手に入れたのです。
これを読む限り、カンヤマトイワレヒコ(のちの神武天皇)は正式な皇の後継者です。アスカ宮を討つ大義名分はありますし、正当に大和朝廷の初代天皇に就いたといえます。分かれてあった神器を一つにして都を移したとき新たにお后を娶ることになりました。その姫こそ、猿田彦神という多々良男(製鉄をする者)であり五十鈴をまもる神のミタマが宿った「たたらいそすずひめ」です。製鉄の技術を日本にもたらしたのも猿田彦神かもしれません。「たたら」の語源とされている「タタール」に近い文化圏の人物だろうとも想像がつきます。
姫の父は伊予の大物主&事代主ツミハで、母玉櫛姫が伊勢に詣でた折に、腹にはいった娘でした。猿田彦神にちなんで祝った名が「たたら」「五十鈴」姫だったのです。この姫は二人の皇子を産み、天皇家が今に続いています。タタライソスズヒメの名が、猿田彦神が「神一厘のしくみ」を手に入れたことの証です。
まとめ:大天狗は魔界に棲む?それとも神界?
京都の鞍馬山には天狗がいる、ということはとっても有名ですが、鞍馬山に650万年前に降り立ったのは金星からやってきた「魔王」であるとパンフレットなどにも書かれています。「魔王」と言ってはばからないのが鞍馬の天狗です。仏教的には「魔王」とは魔界にはいり無間地獄に堕ちたモノのことを指します。日本古来の「ゐせのみち」ではハタレ、とか、ハケモノ、鵺(ぬえ)、あしもち、人の如くの魔物なども「たまがえし」で真っ当な人として生まれ変わることができるという考え方をします。しかし、人の心は刻一刻と姿を変えるので、「ゐせのみち」では一概に「魔界」「神界」と線引きすることをしていないきらいがあります。むしろ怨霊さえ神として祀るということをします。その意味では「大天狗」だからといって魔界に棲むもの、神界に入る者とくっきり分けることはしていないようです。
小天狗はいたずらをして人を驚かすのが趣味。ときにそれは人を死に至らしめ「ブラックジョーク」になることもあります。大天狗ははるか上空からの景色を見わたしつつ、神の使いとしての働きを務めていると言えそうです。かの田中角栄も本性は大天狗だと言われていますが、なるほど、です。日本で人気の武将である織田信長を「第六天魔王」とある外国人は呼びましたキリスト教や仏教の考え方では「黒」は「黒」、「白」は「白」とケジメをつけるようです。
天狗の働き
サルゴン(猿田彦神)は日本の天狗を象徴する存在であることは間違いないでしょう。不老長寿の草が生える「蓬莱山」が東の国にあるということは少なくとも紀元前4,000年ぐらいには日本と交流があったチベットでは知られていて、そのことが麓の中国やもっと西方にある国々には伝わっていったのではないでしょうか。サルゴンがこれを知り、不老不死を願い日本にやってきました。そしてウカワの地で”スセリ草”なるものを得て、破格の長寿を得ていたらしいのです。それを伝授されたのが「隼人」の祖神である海幸彦(ホノススミ、ホテリ)です。サルゴンはある程度霊力を持っていたようですが、ただ、サルゴンが日本にやってくるより昔から陰陽の道を使いこなす神々はいましたし、逸の技術をもって各地を開拓するニニギノミコトにも敬意を表したことは神話の通りだったのでしょう。はじめて「たまがえし」を実践したのはツワモノヌシ、タケミカヅチ、フツヌシとありますし、雷を呼び、風を呼ぶイブキドヌシや烏使いのクマノクスヒなどもいました。熊野と言えば八咫烏です。このように、霊力を持つ人が群雄割拠する日本で、「たまがえし」なるワザを知って究極の力を持ちたいがために皇室に近づいたのです。「たまがえし」は人の魂の不死を得る技とも言えますから。そしてアマテルカミの信頼を得て、アマノコヤネから直接伝授されるに至りました。
その後、神武天皇が誕生します。その背景で神武天皇東征をサルゴン猿田彦神はサポートしていたとも考えられます。もともと帝国を始めて建設した人物であり、武力で国をつくる”覇道”は得意分野です。現在の説で神武天皇が立ったのは、猿田彦神の出身であるシュメールの子孫が建国したイスラエルが滅亡し”失われた10氏族”といわれてから約60年後のことです。もしかしたら10氏族が九州入りしていた可能性は否定できません。カンヤマトイワレヒコを名もなき10氏族が祭り上げたとも読み取れないこともないです。東征出発の背中を押したのは「しほつち」ということですが、猿田彦と同じく白髭を蓄えた神として描かれることの多い神ですから、ひょっとして本当は「猿田彦神」のご神託だったのではないか?とも考えられますし。神武天皇が誕生するとき、猿田彦神は神武天皇のお后となる、事代主の娘に宿っていたのでした。そして「タタライソスズヒメ」となって猿田彦神は2代となる皇を産みます。こうして皇族に融合していきました。
第10代崇神天皇の時代にアマテルカミとの約束通り、倭姫に遷座地を教え神宝を引き渡し、その後、熱田神(ヤマトタケル)の葬送の先導役を務めます。皇室に尽くす神様の眷属としてのお働きを務めています。
日本が「覇道」の道を歩むはじめは神武天皇からだと、白川学館の大野氏は言います。「覇道」は王道ではなく人を支配し自由を奪う邪道なのですが、悪いことばかりではありません。現在のように技術革新をスピードをもって進めるためには「戦い」「切磋琢磨」という男性ホルモンの働きを最大限生かす必要があったのだということです。天狗の特徴は目立ちたがり屋で、パワーで相手をねじ伏せるような”覇道”の性質があります。けれども、皇の国日本では神使として力を尽くされています。
記事に登場した神社概要
古峰神社
御祭神/日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
所在地/栃木県鹿沼市草久3027
アクセス/JR鹿沼駅からバスで60分(リーバス古峰原線「古峯神社」下車)
御祈祷/名入りの札がある場合3,500円 団体は任意
御祈祷時間/8:00~17:00 随時受付にて
御朱印/手書き(選べません)500円、印刷(27種類前後の中から自由に選べます)200円
連絡先/0289-74-2111
麻賀多神社
御祭神/和久産巣日神(わくむすびのかみ)
所在地/千葉県成田市台方1番地
アクセス/京成公津の杜駅からバスで15分(成田市コミュニティバス「北須賀ルート」)
「麻賀多神社」停留所から徒歩で1分
連絡先/0476-28-5736 参考記事
神寶神社
御祭神/天照大御神、稲荷大神、かぐや姫
所在地/京都市伏見区深草笹山町15
アクセス/JR奈良線 稲荷駅 徒歩15分
連絡先/075-642-5838 参考記事
―――天狗のもちものに宿る霊力とは―――
猿田彦神が皇から賜った物は「さかほこき」「うつくしきすす」「わいきたち」でした。天狗さんの持ち物とはちょっと違います。それぞれの持ち物の意味を付け加えておきます。
【修験十二道具】
■ 頭襟(ときん)/無明をあらわす黒、十二因縁を表す12のへこみ、左の6つの溝は六道流転をあらわし、右の6つの溝は六道衆生の減滅を表す。大日如来の宝冠を表している。
■ 斑蓋(はんがい、桧笠)/丸い形は金剛界月輪をあらわし、天頂の三角は胎蔵界の八葉蓮華をあらわす。
■ 鈴掛(すずかけ)/修験者の入峰修行の法衣のこと。上衣は9枚の布で作られ金剛界九界を表し、袴は8枚の布で胎蔵界八葉をあらわす。後ろの三つ襞は三悪(地獄・餓鬼・畜生)、前の6襞は六波羅密多をあらわす。
■ 結袈裟(ゆいげさ)/九条袈裟をおりたたんで、修行に適したように加工した袈裟。
■ 最多角念誦(いらたかねんじゅ)/沢山の煩悩を打ち砕く最上のもの。母珠をもって仏界とし、緒止めをもって衆生界とする。
■ 錫杖(しゃくじょう)/法界の総体であり、衆生を悟りに導く知恵の象徴。「声聞」の錫杖は二股四環。苦・集・滅・道の四諦をらわす。「縁覚」の錫杖は四股十二環。十二因縁を表す。「菩薩」の錫杖は二股六環。六波羅蜜を表す。
■ 笈(おい)/修行のための法具入れ。先達は不動尊の八つの法具を入れる。峰中十界修行中に胎児としての行者を抱く母が笈。入峰者が笈を背負うことは母体に入ることをあらわす。
■ 肩箱(かたばこ)/肩箱を背負って入峰するものは、すべての諸法を修めずに修めることこととされる。
■ 金剛杖/修行に使用する杖で法界塔婆。
■ 引敷(ひっしき)/座具である腰当。
■ 脚絆(きゃはん)/脛の部分にまく布。
【天狗の小道具】
■ 羽団扇(棕櫚、ヤツデ)/9枚・11枚・13枚の羽根を持つ羽団扇で風を起こしたり、火をおこしたり、雨を降らせ人の心を支配することができる。
■ 一本歯の下駄/山道を歩きやすい、ジャンプできる。
■ 金剛杖/鉄の輪がついている場合、歩くたびに音が鳴るのでクマよけになる。
■ 山で使う刀
■ ほら貝
■ 鈴掛
■ トキン
■ 結袈裟
■ 笈
【猿田彦神の持ち物】
※各地の渡御ご神事で先導するサルタヒコが持つ道具から考察
■ さかほこき/自分の身長よりも背の高い諸刃の剣。
■ うつくしきすす/五十鈴?神楽鈴のことか?猿田彦神はお神楽の神でもある
■ わいきたち/脇差のような短い太刀
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