【天皇晴れ】瑞祥もたらした天叢雲剣の素性とものスゴイ霊験 三種神器 十種神宝

三種の神器 十種神宝



【エンペラーウェザー】
「雨」予想の即位礼の日、直前の荒天にもかかわらず晴れ間が出て、皇居上空に虹がかかりました。そのようなお天気のことを海外でエンペラーウェザーと紹介されているそうです。

11月10日 即位御列の儀を翌日に控えた日、ご即位のお祝いの式典では嵐の歌う奉祝曲に、目頭をおさえる雅子皇后さまが拝見できました。「きみがわらえば 世界はかがやく 誰かの幸せが 時代を照らす 僕らの喜びよ 君に届け・・・」
祝賀パレードの日も晴れ予想です。

10月22日はこんなツイートがあふれていました。

・天叢雲剣って「雨を降らす」「雨雲を呼ぶ」って言われているのね!
実際、皇居は雨が降ってて儀式が始まったらやんで、しかも虹まででたんだもんね!
神秘を感じずにはいられない~
・いや、それにしても台風の進路おかしくない?
なんかもう明らかに東京を避けてるみたいな。
・天叢雲剣の効果で雨が降って
始まった途端雨が止み
雲が割れ日が射し
祝砲で八咫烏が鳴いて
皇居を跨ぐように虹がかかる
台風21号は進路変更し
富士山に令和最初の初冠雪と謎の雲が取り巻き
静岡浅間神社で初代天皇に由縁ある桜が突然開花
これ全部本当?
日本ファンタジーかよ
・天叢雲剣の言い伝え通りの大雨も
「御代替りの禊の雨、全ての穢れが洗い流された」とご解説下さった浦和太郎氏はこの素晴らしい虹の出現も
「神話では天照大神の両親であるイザナギ、イザナミは虹を渡って降臨した」と。
正しい歴史と共に美しい日本語ももっと学ばなくてはと痛感。
・昨日の即位礼正殿の儀で、皇居周辺だけ急に晴れ虹が出てました。終了した途端、雨が降るという、天叢雲剣を携えた天照大神様が降臨されたかと思われました。
尚、天叢雲剣がある熱田神宮は晴れてたとツイートありました。
・Heavenly Sword of Gathering Clouds(群れ雲の天の剣)
・剣を持ちて雨を降らし
鏡を持ちて天を照らす
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の伝説の通り
日の元つ国、日本(ひのもと)で
美しい虹が全世界の要人の見守る中
素晴らしかったですねぇ
未来は明るい
・三種の神器、天叢雲剣によって雲と雨を呼び
即位礼正殿の儀の直前には天照大神が降臨したかのように晴れる
そして皇居周辺に虹が。イザナギとイザナミは虹を渡って下界に降臨したという
まるで神話のような一日。。。

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の神剣ぶりはもはやコズミックエナジー!?

天叢雲剣は、日本神話によれば、スサノオが八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したとき、その尾から出てきたとされる剣で、これがやがて東征するヤマトタケルの手に渡り、熱田神宮に祀られるようになったと伝えられています。

天叢雲剣を生んだ八岐大蛇の正体

『ホツマツタヱ』は、神々の世の物語なのですが、神話というより人としての息遣いがすごく伝わってくる歴史の書です。記紀原書と言われる理由は、詳しく語られた物事の始まりや神々の息遣いのリアルさにあると思っています。そして、地方の伝承・民話には事実の片鱗が隠されていることが珍しくありません。そうやって日本の真実は伝承されてきたのです。それらを紐解くと見えてくる昔の出来ことがありありと浮かび上がることがあります。叢雲の剣ができるまでを追いかけてみましょう。

『ホツマツタヱ』
皇(すめらぎ)の十二人の妃の一人、ハヤコは姉のモチコと共に宮で不満を募らせて生きてきました。そんな時、心のくすぶりをスッキリさせてくれるような出会いを遂げます。それはスサノオといい皇の弟でした。スサノオは生まれた時から癇が強く、雄たけびあばれ、長じても人々に迷惑ばかりかけていました。宮に上がっても暴れ馬のように荒み、尖ったはだかの剣そのものでした。ムキダシの剣のようなスサノオを目にしたハヤコの中に、眠るハタレ根の血が目を覚ましてしまったのです。暴れながらも自らの生き筋を求めていたスサノオは、「天下をとれ」とハヤコにけし掛けられます。
 決起の密談は、しかし、内宮のホノコの耳に入ります。そんな時事件は起きました。内宮ホノコの妹ハナコがスサノオの投げた杼に運悪く当たり亡くなってしまいます。クーデターの疑いと決定的なその罪により、スサノオが死刑になるところをホノコの嘆願により量刑を下げられ、とはいえ、下民に落とされて墨を入れられます。スサノオは流離男(さすらお)となり、どこをどう放浪したのでしょうか。

 クーデターを共謀した罪でハヤコはモチコと共に筑紫の宇佐に流されました。九州には「おくんち」という龍が練り歩くお祭りがあります。「大牟田大蛇山まつり」もあり龍が登場するお祭りは多いです。宇佐の宮を出奔したハヤコが、九州北部界隈を拠点にしていたのではないかと思わせる伝承です。
 その後、どういう経路をたどって出雲の山にハヤコはたどり着いたのでしょうか。北広島の『炭焼きと女房』という民話にヒントとなるものが伝えられています。

『炭焼きと女房』
 ある女がある日炭焼きのもとを訪れて追いかけ女房に収まり、小判をたくさん生み出しました。しかし自分が大蛇であることがバレてしまい焼きのもとを去ります。最後の結びはこうです。「この女とは、実は、九州の日向から紀州に行き、そこからまた安芸の国の戸河内に来ていたことのある簸の川上の八岐(やまた)のおろちだったゲナ。」

北広島市の民話によれば、八岐大蛇は九州の日向にいて、最終的に簸の川上に行ったことが語られています。この民話を読む限り、特に悪さをしたとは書かれていません。出雲の風土記には八岐大蛇退治の件は無いことからみても、「八岐大蛇退治」とは一種の例え話だったのかもしれません。

 出雲の山の産業はタタラ製造だったといわれています。炭を使ってたたらを製造するときに立ち上る煙が途絶えることはなかったそうです。ハヤコたちのために安芸の山ははげ山になったとも『ホツマツタヱ』には書かれています。ハヤコは炭焼きの女房に収まり、山の木を狩りつくしてタタラなす人々に炭を調達したと考えられます。それでタタラ製造と深い関係を築いていったのではないでしょうか。日本刀をつくるための玉鋼の品質は、出雲が最高品質だとされています。その昔は燃え盛る炉に娘を入れると良い鋼になるという伝承があったようですが、もしかすると県主だったテナヅチ・アシナヅチの7人の娘はそのために八雲立つ炉に「食われた」のではないか、と。そして名刀をつくる玉鋼ができあがり、7人の女性の御霊とハヤコの精魂を練り合わせて叢雲の剣はできあがったのではないのか・・・。

石上神宮 出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)の由緒
686年、宝剣の祟りで天武天皇は病となり叢雲剣を熱田神宮に送り返したその夜、石上神宮神主の夢にみた。東の高山の麓に八雲のぼりその中に神剣が光って国を照らすそのもとに八つの龍が表れて八つの石の上に宿る。龍いわく我は「尾張連女(ミヤヅヒメ)がまつれる神なり」と。この地(国見山)にに降りて帝都と諸人を守ろうぞ。とのご神託により出雲建雄神(いずもたておのかみ)と奉られたということです。この神は草薙剣の荒魂とされています。

八剣神社(やつるぎじんじゃ)由緒
神代の昔スサノオノミコトは八岐大蛇を退治したまいき 大蛇は身を変え天に昇り神剣となって布留川の上流八個岩に天下りしを水雷神とあがめ貞観年間(859年~877年)にこの地に氏神として祀られた

夜都伎神社(やつきじんじゃ)由緒
夜都留伎の神は八伎大蛇の変身にて神體は八の比禮小刀子(はちのひれことうす)なり。もって八剣の神と申す。神代の昔出雲の簸谷の八伎大蛇は 一身にて八伎あり スサノオノミコトが剣で八段に切断したまいしか八身に八頭か 八の子蛇となりて天に昇りて水雷神と化し叢雲の神剣に従い 当国布留川上の日の谷に臨幸ありて鎮座す

「八剱」とは「叢雲剣」の荒魂であり、八岐大蛇の化身ともいわれていたということがわかります。

八岐大蛇(集団の頭)ハヤコの悲願は何だったのかと言えば、スサノオを皇に据えることでした。少なくとも世の中に君臨するヒーローにならなければならなかったのです。だからこそ、皇が持つべき神剣・叢雲の剣をつくることに執念を燃やしたのではないか。それを自分が見込んだ男スサノオに捧げることが悲願だったのです。「叢雲の剣」と「スサノオ」はツインソウルのように互いに引き合うようにして出雲で出会うことは、宿命だったのでしょう。

スサノオがどこをどうさすらってきたのか、ある時突然簸の川下に降り立ちます。そこでイナダヒメを救うため、かつての仲間ハヤコを仕留めるのです。ハヤコとスサノオが再会したときどんなやり取りがあったのでしょう。この世の「罪・穢れ」の塊のようなハヤコは、スサノオと合わせ鏡だったのではないでしょうか。荒魂とか奇魂という分身ともいえるハヤコの軍勢をツタに切り刻んだことにより、スサノオは本来の表の面、和魂・幸魂が現れ出たのです。

スサノオは「天津神」でありながら「国津神」でもあるという貴重な経験をしています。その経験こそが人類を救い今に続く発展繁栄のもととなったのかもしれません。ハヤコが作り上げた叢雲の剣は、皇に献上されたとされています。世の中のすべてを罪・穢れの中から生まれ、罪穢れを切りきざむ諸刃の剣、それが叢雲の剣です。

本当はおそろしい叢雲剣の伝説

雲を集め雨を降らす天叢雲剣として、令和の即位正殿の儀の際に認識されたようですが、その伝説にはどんなものが伝わっているのでしょうか。

三種神器(さんしゅのじんぎ)を分けておかれた理由

三種神宝(みくさのかんたから)が分けておかれるようになったはじめは天孫ニニキネが継承するときであったことが『ホツマツタヱ』の記述からわかります。三種(みくさ)を分けておく理由が天照大御神の言葉として登場します。天孫ニニキネに継承させるときのこと。「頭は君、鏡は左の羽、剣は右の羽、モモノベは足。鏡の臣が滅べば人心は離れ、剣の臣が滅べば防衛力が割れて国を奪われる。鏡の臣は常に民を鑑み、剣の臣は邪を枯らし武の力をただしく守れ。三種を分け置く意味はこれらが長く一つに和するため」

ということでした。その後、三種が一つのところにまとめられたのは、神武天皇が皇位継承してからの事です。それから第10代崇神天皇まで、三種は内つ宮にまとめ置かれるようになったのです。しかし崇神天皇が詔するには「宮にある三種のクニトコタチの御霊は神璽に宿り、アマテルカミは鏡に宿り、オオクニタマが剣に宿る故、三種と共に生きることが畏れ多くて気が休まることがない。鏡はトヨスキヒメ(崇神天皇第一皇女)に、剣はヌナギヒメ(尾張国造の娘と崇神天皇のあいだの第二皇女)に祀らせることとした。イシコリドメの子孫に鏡の形代を、アメマヒトツの子孫に剣の形代をつくらせ、璽とあわせた三種を神宝とする。」ということでした。

病がはやり民の半数が亡くなり国が窮状に陥った。それが神祟りであるとのご神託を得ての政(まつりごと)改革が行われたのでした。オオクニタマの祀りを子孫に継がせ適切な政を行った結果、世の中が次第に整ってきたということのようです。

スサノオの生まれ変わり、ヤマトタケルに手渡される天叢雲剣

ミツエシロをトヨスキヒメから引きついだヤマトヒメが伊勢に御鎮座の後、どういうわけか鏡ばかりでなく叢雲剣を預かっていたことになっていて、日本武尊に渡しこう言いました。「天御孫がはじめて使用した”火水(ひ・み・つ)の祓い”を、火水の障りある時に使用すべし。これぞ出雲の国を拓いた叢雲剣はこれである。おこたりなく、仇を平らげよ。」そのあと東征を成功させたヤマトタケルは伊勢に戻ることがないままに命を落としてしまいます。最終的に尾張の地に剣は残されることになりました。

なぜ、大切な叢雲剣が天皇でもないヤマトタケルに渡されたのでしょう。日本の危機を背負い東奔西走、討伐に飛びまわるミコトには必要なものだったとしても。叢雲剣は神剣ですから、おそらくは居場所を自分で決めるのかもしれません。ヤマトタケルがスサノオの生まれ変わりだと自分自身感じ取っていたことは『ホツマツタヱ』にもありますが、それをしればヤマトタケルの手に渡ったことについて、「なるほどね」となります。なぜ、みすみす神剣を置いて行ってしまったのかついては、後述する『尾張風土記』から読み取れます。

ただ、最後、大変残念なことにヤマトタケルは惜しまれつつ亡くなってしまいます。そのあたりに叢雲剣の怖さが隠れています。

畏ろしい神剣のご霊験

●『尾張国熱田太神宮縁起』によれば、668年新羅の僧が剣を盗み出し新羅に持ち帰ろうとしたところ失敗し、二度目は船が難破し日本側に回収された。僧はその後住吉大神により倒された。

●盗難後しばらくは宮中で保管された。天武天皇が内裏に移したが、686年6月、天武天皇は病に倒れたが病気の原因が、神剣を熱田に返さず宮中に留め置いたことだと分かった。陰陽師や仏教僧がご祈祷するも病気は平癒せず、神剣は熱田に返されたが9月に崩御した。このことは石上神宮の略抄にも「宝剣の祟り」とある。

●石上神宮境内社・出雲建雄神社は、熱田神宮に宝剣が返還されたあとすぐに布留川上に現れた「宝剣の荒魂」として平城京の鎮守としてお祀りされる。708年には熱田神宮に八剣宮が祀られる。

●ヤマトタケルは、東征成功の美酒に酔いしれる間もなく暴れる神を退治しようと出かけます。なぜか剣をミヤツヒメのもとに置いたままです。「軽んじて、荒れ方神の使いなり。戦うまでもない」と横たわる大蛇を無視しまたいでしまいます。ところがそれこそがイフキ神であり、タケルのその態度で完全に怒らせ、その時受けたけががもとでタケルは亡くなります。

『尾張風土記』逸文によれば、よるヤマトタケルが厠に行った際に桑の木に掛けたまま忘れて朝になって取ろうとするが、神のように光り輝いて取ることができなかった。(そのため、荒ぶる神討伐に持参できなかったか)ミヤツヒメに「此の剣は神の気あり。斎き奉りて吾が形影と為よ」といったのが熱田神宮の始まりという。

●江戸時代、箱の修繕などの機会に覗き見てしまった大宮司が次々と命を落とした。という都市伝説。

●戦時中、敵対国に対して神社や寺で祈祷などが行われたが、熱田神宮でも行われるとごとごとと箱の中で動き出し自らズレて行ったので祢宜が抑えると、祢宜は青い炎を口から吐きながらやがて炭化してしまった。という都市伝説。

●八咫烏の長だった人の息子だという坂本氏曰く、叢雲の剣はオリハルコンだと。それを見ただけで周囲にいる人は死んでしまうのだそう。それは持つべき人だけが取り扱える代物・・・と。※オリハルコンとはアトランティス文明に存在した幻の金属としてプラトン著『クリティアス』に登場する。

スサノオが八岐大蛇から奪い取った叢雲剣は、天皇や皇子の命まで奪うほどの神気を宿らせていたようです。そしてなぜか尾張の地に定着しました。ヤマトヒメはなんと言い含めてヤマトタケルに渡したのか。なぜ、ヤマトタケルは神剣を置いて伊勢に帰ろうとしたのか。普通の感覚ではたとえ病を得ていき絶え絶えでも、皇にとって大事な大事な皇位の証でもある神剣を伊勢に返そうとするはずです。ですが、病を得てから一目散に迷いなく伊勢に向かっているところを見ると、神剣を尾張の地に据え置くことは折り込み済みのことだったと考えられます。つまり、ヤマトタケル自身が神剣の居場所を決める「ミツエシロ」として働いたわけです。

剣を祀る姫の名は、み・やつ・ひめ(一般的には宮簀媛ミヤズヒメとされています)。その名も意味深です。

オリハルコンという合金でできている!?天叢雲剣

八岐大蛇と化したハヤコ姫について少し調べましょう。姉モチコは同じ皇に仕えるお妃さまで、実は一番初めにお世継ぎの皇子を生んで有頂天となっていましたが、一番末のオシホミミに皇位を奪われたことに端を発し、のちに妹のハヤコと共にクーデーター計画に乗ります。計画がとん挫以した後モチコはハヤコと共に宗像に蟄居させられますが、やがては対馬海峡から船にのり北海道までたどり着き「白竜」とか「九頭竜(こかしらのおろち)」として東日本で祀られている神社も多々あります。

二人の出身地は北陸や山陰地方にわたる広い地域です。この地を治めていたのはクラキネといって、イサナキノミコトやシラヤマヒメの弟にあたります。しかし国はよく収まらず、どこの馬の骨ともわからない輩が国を牛耳るようになりやがて悪の吹き溜まりとなっていきます。そこへ「下民に落とされたスサノオが皇として立ち、それに従えば引き上げてもらえる」という噂の元凶になっていきます。

日本海側は古来、外国との取引や文化交流も盛んな地域でした。朝鮮からやってきたという王を発見するのは、いつも日本海側のどこかでした。1万年ほども昔の漆塗りの器が見つかるなど、古来から文化度の高い地域だったことは確かです。

『竹内文書』には、地球に大地が現れた時神が最初に現れ世界統治した地域のことが書かれています。それが、富山、です。宇宙船が離着陸した場所、ということになっています。北陸は現在でもUFO目撃者が多いことでは有名です。そのような土地が二人の大蛇の出身地ということは、面白いですね。

宇宙的な合金と言われるオリハルコンが、宇宙からもたらされ、ハヤコらが地上でそれをつかって剣にした・・・とも考えられなくもないのかもしれません。「叢雲剣にかかわらず、神社にある神剣はオリハルコンでできている」と言う人がいることも事実です。その人物の父は元八咫烏の長で、八咫烏はNASA以上に宇宙開発の最先端を行っていると言っているのも事実です。さて、そのことばを信じるか信じないかは一人一人の選択です。

祓い祝詞のなかに封ぜられた神剣の役割

神社で行うお祓いご祈祷で宣られる「祓詞(はらいのことば)」の中でも特に強く働くのが大祓(おおはらい)だとされています。実際によく効くので、ご自身で読み上げることもおススメです。この中にいわゆる「祓戸四柱」と言われる神々の名が登場します。その中で、叢雲剣をつくったとされる八岐大蛇=ハヤコは、祓戸四柱の1柱として登場しています。

祓戸四柱
瀬織津比売神(せおりつひめ)/もろもろの禍事・罪・穢れをたきつはやかわのせにながし、大海原へ持ち出でます。
速開都比売神(はやあきつひめ)/荒潮の八百路の八潮路の八百辺にて待ち構えて、もろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む。
気吹戸主神(いぶきどぬし)/その後、根の国・底の国に息吹を放ちて吹き送る。
速佐須良比売神(はやさすらひめ)/根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れを素粒子に分解し再生する。

祓い詞にある祓戸の神々の働きはそのまま宇宙のしくみを語るものだと言います。
瀬織津姫の働きは、宇宙に散らばる星々にたまっている穢れを素早く集め、
ブラックホールの周りに高速回転する遠心分離機のように「宇宙ゴミ」はあつまり速開都比売神のゲートとなり、
いぶき放つことで、スムーズにブラックホールへと「宇宙ゴミ」でも「星」でも吹き送ります。
ブラックホールはすべてを飲み込みDNAをバラバラに分解する役割をはたします。これがハヤサスラヒメの役割です。

その後、バラバラのDNAが新しく組み合わされて生まれジェットが起きて人やモノや星が新生されるのです。
ブラックホールの仕組みを、まさに、天叢雲の剣の両刃がそのまま表しているように思えますね。宇宙の果ての出来事にまで意識したり、責任を持てなければ取り扱うことは難しいのだということなのかもしれません。まさにエンペラーが持つべき剣なのでしょう。

叢雲剣はなぜ三種神器に入るほど大切にされたのか?十種神宝との関係は?

以上のことで叢雲剣の神剣ぶりは恐ろしいほどだということがわかってきました。これが神が宿る剣であると天照大御神も知っていただろうと考えられます。

ところで、三種神器(さんしゅのじんぎ)とは別に十種神宝(とくさのかんたから)というお宝があります。『ホツマツタヱ』にみると十種は次のようなものです。

十種神宝(とくさのかんたから)
おきつかがみ
へつかがみ
むらくもつるぎ
うなるたま
たまかえしたま
ちたるたま
みちあかしたま
おろちひれ
ははちしむひれ
このはひれ

そもそも、三種の初めに、璽(ト、しるし、をして)があり、のちに矛が加えられたことが記されています。世の中に罪や穢れが生じたからです。イサナキ・イサナミの二神は璽と矛で国を治めました。鏡は、天照大御神の御代に民を良く鑑みよと加えられました。

もともとあった矛が、剣となったのはアメマヒトツが8振りの剣をアマテルカミに献上し「ヤエガキノツルギ」と言われるようになってからの事です。この剣が三種の神器の一つにくわえられた剣だということを『ホツマツタヱ』からは読み取れます。

『ホツマツタヱ』によれば三種の神器の剣は「八重垣の剣」であって、叢雲剣は十種の方に入っています。十種は、天孫ホノアカリがアスカの国を治めるときに与えられた宝物として登場します。この道具をどのように使用するのかも記述があります。

いたむことあれば「ひふみよいむなやここと」まで数えてふるえ、ただゆらゆらふるえば、すでに罷るも甦る 布留のことぞ

と詔(みことのり、皇のおことば)されたとのこと。すでに死んだ人を生き返らせる呪術に使用するイメージでしょうか。性根の腐った人が人間として生まれ変わるための”タマガエシ”という業の詳細も語られていますが、十種のなかには「たまかえしたま」として存在しています。その十種の中に名がみえる神剣「むらくもつるぎ」です。

現在のご神事に伝わる十種神宝は
おきつかがみ
へつかがみ
やつかのつるぎ
いくたま
たるたま
ちがえしのたま
まかるがえしのたま
おろちのひれ
はちのひれ
くさぐさのもののひれ

というものであり、「むらくもつるぎ」の名は見えません。それぞれの意味が正しく解説されている白川の講義では、十種が先で、三種は十種を凝縮したものと教わりました。

『ホツマツタヱ』に見る三種と十種は、天孫ニニキネ(弟)と天孫ホノアカリ(兄)という別々の系譜に伝わり、神武天皇時代いったん一つになりまた離散していったようです。その歴史の中ですり替えや混同、レプリカが生じたことがあったのでしょう。

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