幸運をよぶかもしれない彩雲・光芒・光条・オーブ・フォトン写真を集めてみた

彩雲



彩雲を、見つけたらいいことあるかも

彩雲降臨

彩雲、何かいいことあるカモ

幸運を届けると言われている7色のようにキレイな彩雲

決意表明の後の彩雲♪

神秘的な空♪

春分を祝福するかのような彩雲

彩雲!?いいことありそう

彩雲を見つけた人は、そんな風に「幸運の彩雲」と受け取ることが多いみたいですね。



彩雲(さいうん)とは

彩雲5 出典:写真AC

彩雲とは、太陽の近くを通った雲が虹色に彩られる現象のことで、瑞雲(ずいうん)、慶雲(けいうん)、紫雲(しうん)などとも呼ばれて、吉兆を示す自然現象として受け取られていたようです。お釈迦様が涅槃に入るとき、お迎えにやってきた菩薩は光る雲に乗ってやってきたと言われますし、『竹取物語』で、かぐや姫を、光る雲に乗ってきた牛車が迎えにきました。光る雲が彩雲だとすると、天から尊い人を迎えに来ているというしるしなのでしょうか?

最近彩雲を見たのは2018年12月31日のこと。風が強く、雲が切れ長に尾を引いて進んでいます。

彩雲

大晦日。この日の太陽は、なんだかもの言いたげな丸い光芒を発していて、見とれていました。

光芒

次は2019年3月20日。春分の日の前日の夕方。「あれ~雲が光ってる!?」

彩雲3

太陽との位置関係は、こんな感じ。翌日の春分の日の日の出を見に近所の丘に登ろうかと思っていたけれど、雨なのかな。雲が多くなってきた感じ。

彩雲2

春分の日は雨模様。けれども夜半には薄く満月が顔を出してこんな虹色にモヤっています。
2019年3月21日、てんびん座0度の満月。ひとのあり方を「美」により価値づけるのは、日本人の得意とするところです。「美しいこと」はとても大切な価値。美しいことは姿かたちだけではなく、立ち振る舞い、人のあり方に現れます。「潔いこと」進退の「引き際」桜の「散り際」など、男の美学とか、研究者の美学とかに通じるイメージ。今年度は「どう生きたら美しいか」と自分なりの美学を突き止める一年とするのも趣です。

私の美学ってなんだろう?

月暈

3月22日朝、眠くて眠くて車を運転しながら「追突しないようにしなきゃ」といつもよりも強く思っていると、込み合った交差点で停止した時ドンと追突されてしまいました。事故発生です。火星・冥王星・月が関係し瞬発エネルギーが爆発するようなことが起きたのですが、こうしたトラブルの処理にも流れるように「美しくある」やり方というものを学んでいるような気がしました。2019年度の判断基準として「どうするのが美しいか」と考えると選択を間違わないかもしれません。

太陽と月の光芒(こうぼう)、光条(こうじょう)とは

太陽やお月様の光がさやかで、鋭い光を放っているときがあります。
光芒のイメージは「天使のはしご」でしょうか。雲の間から太陽の光が漏れてスポットライトのように照らしだすアレです。むら雲をかき分けて降臨する光に「意志」を感じて感動します。太陽の光は雲に遮られ、風の力を借りて雲を吹き祓うけれども、天使のはしごには、暗い地上に光を下ろしたい強い意図を感じるからです。

天使のはしご 出典:写真AC

光条のイメージは、太陽や月が放つ筋状の光。

20161114超エキストラスーパームーン

2016年11月14日22:52のスーパーエキストラムーンの輝き方は尋常じゃありませんでした。まぶしいほどの光を放ち、導きを与えてくれるようです。この日のサビアンシンボルは「宝石店」。悠久の年月をかけて地球がはぐくんだ貴重な宝物をお店にディスプレーするのです。地下深く眠っていた磨かざる貴石がいよいよ表舞台に登場します。人が生きてきて積み上げてきた宝物にスポットライトを当てる日が来たのです。

思い起こせば、この時始まっていたプロジェクトがありました。いまだに取り組んでいる真っ最中なのですが、それは「宝物を表舞台に立たせる」という意味が含まれたものです。このあたりに始めていたことは、2年以上の歳月をこえて粘り強く完成させるという天の強いベクトルを感じさせます。

光条

2015年3月28日に撮影。公園で。太陽から一条の光柱が降り立っています。

光芒2

2016年12月15日 氷上姉子神社本宮の森にて。この日はとにかく光がピンと張りつめて強く語りかけてきました。神社との相性の良さというか、ご縁を強く感じました。熱田の森と似た空気があります。

光芒3

2017年11月1日 熱田の森にて。結婚式を、熱田の神の御前で行いました。以後、七五三といい、車祓いといい何かとお世話になっている熱田さんは家族の鎮守様です。熱田さんに祀られるヤマトタケルノミコトの尾張の地での妻であるミヤヅヒメの御座所が、上記の氷上姉子神社です。

光芒3

2015年3月2日大池公園にて。真横に鋭い光条と赤っぽい光芒が見られます。

オーブとは

宝珠のこと。玉響(たまゆら)とは、隣同士の勾玉がこすれあう幽(かす)かな音のことで、水滴のような光の玉が写真に映り込んだものを指す場合もあるようです。霧などが発生するようなときや、細かい砂などが舞うときフラッシュに粒が反射して映り込む場合も多いようです。何らかの魂、霊的存在だという説もあります。

最近卒寿のお祝いで実家に親族が集まって撮った写真には大小のオーブが映っていました。肉眼でオーブを見る人もいますから、水滴がカメラに映り込む物理現象ばかりでもないのでしょう。肉眼でオーブを見る人は、その中心に核のようなものがあって、大きさ光の強さも様々だといいます。

石座神社オーブ

2016年7月5日新城市の石座神社に参拝した折、筆者には数少ないオーブ写真が。もしかしたらレンズフレアかもしれないですね。これは。しかし、本物の草を食しているご神馬は、なんともリアリティがあったのを覚えています。



フォトン・プラーナとは

フォトンとは、世界大百科事典によれば、「光子、光量子ともいう。物質は光(電磁波)をエネルギーの塊として吸収し、あるいは放出する。そのエネルギー塊の大きさは電磁波の振動数νで決まり、プランク定数をhとしてhνと書ける。この塊の大きさは相手の物質によらないから、これは物質との相互作用の機構によるものではなく、光の本性とみなければならない。」ということで、”光の本性”のことをさします。

プラーナとは、サンスクリット語で呼吸、息吹などを意味する言葉です。日本語では気息と訳されます。インド哲学では、同時に人間存在の構成要素の1つである風の元素をも意味しているそうです。プラーナは生き物 (すなわち息物) の生命力そのものとされています。食べ物を摂取しない不食でも生命を維持している人々がいて、その方たちはプラーナを食しているからと説明されます。

フォトンは「光子(こうし)」、プラーナは「風」という側面から説明されていますが、「生命を生しているもの」という意味で共通しています。
フォトンやプラーナを観察することはできます。お天気にかかわらず常にそこに存在する移動する光子を「空気のゆらぎ」のように感じたり、レザー光線のように感じられたりします。が、筆者は霊的能力を持っているわけではありません。特にチャクラを開こうと修行をしているわけでもありません。だれでも見ているものだと思っています。

カメラに収めるとどんな画像になるのでしょうか。

フォトン

2015年7月28日愛知県西尾市の久麻久神社にて。夏の日差しの強い一日でしたが、扇状に広がる光条を燦々と私たちは受けて生きているんだなと、感じることができます。カメラのレンズという媒体を通して、目に見えぬエネルギーを感じられるのはいいですね。

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