家系図づくりが小さなブームになっているようですね。家系図は自分自身のルーツをたどることであり、ご先祖様の行き方を知るチャンスであり、ご先祖様をたどると日本人なら必ず「神様」に行き当たります。家系図のトップには家系の祖がいて、家系の祖をたどれば祖神にたどり着きます。日本人はみな、日本の神々をご先祖である祖神としています。「家(うち)の祖神はどなたなのだろう?」という疑問を自分自身で説いてみたいと思いませんか?
自分の名字の由来を知る
名字は、日本の場合父親か母親かどちらかの名字で出生届を提出します。基本的にはその名字をたどった先にざくっとした「氏神さま」「家の祖神」が見えてきます。育ての親がいる場合も同様で、自分が現在名乗っている名字が最も縁の深いものだとして調べていくと良いです。結婚して姓が変わった、という場合は両方を調べます。
「佐藤」さんは日本で一番多い名字として知られていますが、どのような由来があるのでしょうか。
1.中臣鎌足が天智天皇より賜り「藤原鎌足」を名乗り、その8世孫である藤原秀郷(9C後半生誕)のそのまた4世孫、左衛門尉公清が(10世紀後半ごろ?)「佐藤」を称した。秀郷の父は下野(しもつけ)の国司の第3等官として赴任し、それを継いだ秀郷は平将門を討伐して名をあげ下野と武蔵の国司・鎮守府将軍となった。左衛門尉公清は佐野庄鎮守であったので「佐藤」を名乗ったとか、役職左衛門から「佐」を名乗ったという。
2.前九年の役(1051年~)で活躍した相模波多野氏流8世孫佐藤信景(12C後半~?)が家祖
3.11C~12C奥州藤原氏流で岩代國(福島県西部)信夫庄(しのぶのしょう)の郡司(ぐんじ)を任された。
4.他、相馬氏流、那須氏流等
5.尾張氏流、紀伊氏流もあり
参考:名字由来NET
家系を遡るとどの地域にたどり着く?
「佐藤」さんの場合は、発祥の地や由来が比較的わかりやすいかもしれません。1.~4.まで大もとは「藤原秀郷」で共通しています。関東・東北に多いのも理解できます。祖父母やその前をたどった出身地が関東以北である場合は遠祖として「藤原秀郷」がいて、神として神社に祀られる人物があがってきます。ご先祖様に神上がりした人物がいる場合、その方を「遠津御祖神(とおつみおやのかみ)」といいます。確実に遠い昔に生きた、自分が血を継ぐご先祖様です。
ただ、日本一多いお名前だけに、「佐藤」さんの場合は全国的に分布はあるでしょう。祖父母に名字の由来をぜひ、聞いておきたいですね。家系図を作ると、祖父母の生い立ちなどに触れることもできたりします。父方、母方両方の系図をたどってみると、ご先祖様は敵同士だったなど「ロミオとジュリエット」的なお話など出てきて、意外なことがわかって面白いものです。
関東以北の「佐藤」さんの遠祖(遠津御祖神様) 藤原秀郷公ゆかりの神社
関東以北の多くの「佐藤」さんの遠祖、遠津御祖神様(とおつみおやのかみ)にあたる藤原秀郷公(ふじわらひでさとこう)をお祀りする神社をご紹介します。
藤原秀郷公を祀る神社
■ 唐澤山神社(からさわやまじんじゃ)
秀郷公は、延長五年(927年)に下野國(栃木県)の警察にあたる押領使に就き、父祖から暮らす唐澤山に城を築き居城としました。その跡地に当社が創建されました。平将門の乱(939年~)が起きた際に打ち取った際の論功行賞で下野守(栃木県の長官)に任ぜられ、武蔵守も兼任しました。地域で尊崇されている藤原氏魚名流(房前の子)と伝わる武将です。
所在地/栃木県佐野市富士町1409
ご祭神/藤原秀郷公(ふじわらのひでさとこう)
ご神徳/
祈願/交通安全、家内安全、商売繁盛、厄除開運、安産命名、初宮詣、学業成就、病気平癒その他各種
受付時間/
初穂料/5,000円~
お守り/
駐車場/
お問い合わせ先/0283-24-1138
HP
■ 避来矢神社(ひらいしじんじゃ)
下野栃木村から大きな「石」が飛来し、その石を崇拝し奉斎したのが創祀。
所在地/埼玉県羽生市上村君191
ご祭神/藤原秀郷公
ご神徳/
祈願/
受付時間/
初穂料/
お守り/
駐車場/
お問い合わせ先/
■ 鵜森神社(うもりじんじゃ)
1470年築城の浜田城の城主の先祖である藤原秀郷公や初代城主田原忠秀公らをお祀りしています。織田信長に滅ぼされた田原氏の霊を鎮めるために1596年~1658年に創建されました。
所在地/ 三重県四日市市鵜の森1丁目13−6
ご祭神/建速須佐之男命、菅原道真公、藤原秀郷公(ふじわらのひでさとこう 田原〈俵〉藤太秀郷)田原忠秀公(たはらただひでこう)他
ご神徳/
祈願/
受付時間/
初穂料/
お守り/
駐車場/
お問い合わせ先/059-352-8658
HP
■ 高安寺 秀郷稲荷大明神(ひでさといなりだいみょうじん)
高安寺は藤原秀郷の居城跡に、足利尊氏が全国に置いた安国寺の一つとして創建されました。境内に稲荷大明神として祀られます。
所在地/東京都府中市片町2丁目25
ご祭神/藤原秀郷公(ふじわらのひでさとこう 田原藤太秀郷)
ご神徳/
祈願/
受付時間/
初穂料/
お守り/
駐車場/
お問い合わせ先/042-361-2229(高安寺)
藤原秀郷公の家祖を祀る神社
多くの「佐藤」さんの遠祖にあたると考えられる藤原秀郷公にも、ご先祖があり、馴染み深い祖神があるはずです。ご先祖様を遡れば藤原鎌足に行きつきます。
秀郷流家祖 藤原秀郷(俵藤太)
↑
藤原北家魚名流家祖 藤原魚名(房前5男)
↑
藤原北家家祖 藤原房前(不比等次男)
↑
藤原氏家祖 藤原鎌足(中臣鎌足)
藤原秀郷公の遠祖は藤原鎌足公となります。藤原鎌足公をお祀りする談山神社(たんざんじんじゃ)があります。
■ 談山神社(たんざんじんじゃ)
藤原氏の始祖藤原鎌足をお祀りしています。645年から始まる大化の改新を推進した主導者。大豪族蘇我氏が取り仕切っていた政権を皇室のもとに取り戻しました。当地で大化の改新の談合をしたということです。
所在地/奈良県桜井市多武峰319
ご祭神/藤原鎌足公(ふじわらのかまたりこう)
ご神徳/
祈願/
受付時間/
初穂料/
お守り/
駐車場/
お問い合わせ先/0744-49-0001
藤原秀郷公が造営した神社
■ 小松神社(こまつじんじゃ)
天慶三年(940年)平将門謀反のため、平貞盛が当社に討伐を祈願。武蔵・下野押領使藤原秀郷の下に至り、軍議をもつ。将門征伐後、秀郷・貞盛はこの神恩報賽として社殿を再興すると伝わります。
所在地/埼玉県羽生市小松280
ご祭神/伊弉諾命(いざなぎのみこと)伊弉冉命(いざなみのみこと)小松大明神(小松内府、平重盛公)
ご神徳/
祈願/家内安全祈願、商売繁盛祈願、厄除祈願、交通安全祈願、初宮祈願、七五三祈願等
受付時間/
初穂料/
お守り/
駐車場/
お問い合わせ先/048-561-3543
■ 天神社
創建は天慶の乱に平将門を平定した藤原秀郷が、その功により、武蔵・下野二国の押領使となり、現社地に天慶三年役所を置き、守護神として当社を天神塚に祀ったのが始まりと伝わります。
所在地/埼玉県羽生市
ご祭神/菅原道真公
ご神徳/
祈願/
受付時間/
初穂料/
お守り/
駐車場/
お問い合わせ先/
■ 烏森神社(からすもりじんじゃ)
将門の乱の前、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えたそうです。その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていた所、秀郷の夢に白狐が現れ、神鳥が群がる場所が霊地であるとお告げしました。秀郷が現在地である桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、そこに神社を創建したのが当社の始まりだと伝わります。創建は940年。
所在地/東京都港区新橋二丁目15番5号
ご祭神/倉稲魂命(うかのみたまのかみ)天鈿女命(あめのうずめのかみ)瓊々杵尊(ににぎのみこと)
ご神徳/農耕神、芸能神、開拓神
祈願/
受付時間/
初穂料/5,000円~
お守り/800円~
駐車場/
お問い合わせ先/03-3591-7865
■ 下谷神社(したやじんじゃ)
田原藤田秀郷が相馬に向かうとき当神社に参籠して朝敵平将門追討の祈願をなし、その平定の後報恩のため社殿を新たに造営しました。
所在地/東京都台東区東上野三丁目29番8号
御祭神/大年神(おおとしかみ)日本武尊(やまとたけるのみこと)
創建/730年
祈願/5,000円~
参拝時間/9:00~16:00
お守り/各種
問い合わせ先/03-3831-1488
HP
■ 黒船稲荷神社
秀郷は夢に宝を満載した黒船を見ました。船には神人が白狐を連れて、秀郷に「我は倉稲魂命なり。汝の分領入間川(隅田川)の浜の石上に白狐がいる所こそ我が有縁の地なり」と告げたので、早速川岸を見回すと石上に白狐がいました。そこで岡の上に石を御神体として一社を造営し、黒船稲荷大明神としたと伝わります。
所在地/東京都江東区牡丹1−12−9
御祭神/国常立命、熊野早武命、倉稲魂命、大己貴命、八幡皇大神
創建/940年もしくは1086年
祈願/
参拝時間/
お守り/各種
問い合わせ先/
■ 二宮神社(にのみやじんじゃ)
藤原秀郷公が生国の山王二十一社中の二宮(大山咋神、または山末之大主神、または、鳴鏑大神、または国常立尊)を崇敬するので、当社を崇敬し、天慶の乱に際し戦勝祈願をこめ、乱平定の奉賽として社殿玉垣を造営したと伝わります。
所在地/東京都あきる野市二宮2252
御祭神/国常立尊(くにとこたちのかみ)
創建/不詳
祈願/
参拝時間/
お守り/
問い合わせ先/042-558-5636
藤原秀郷公が戦勝祈願した神社
■ 宇都宮 二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)
平将門の乱を平定する際、藤原秀郷公が戦勝祈願をした神社です。
所在地/栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1
ご祭神/豊城入彦命(とよきいりひこのみこと、第10代崇神天皇の第一皇子)相殿 大物主命(おおものぬしのみこと)事代主命(ことしろぬしのみこと)
ご神徳/武徳に優れる
祈願/
受付時間/8:30~15:50
初穂料/5,000円~
お守り/
駐車場/60分300円 300台 ※ご祈祷の場合3時間無料
お問い合わせ先/028-622-5271
■ 亀戸香取神社(かめいどかとりじんじゃ)
平将門が乱を起こした際、追討使俵藤太秀郷はこの亀戸香取神社に参籠し戦勝を祈願しました。乱をめでたく平定した後、弓矢を奉納し勝矢と命名したと伝わります。
所在地/東京都江東区亀戸3-57-22
アクセス/JR総武線、東武亀戸線亀戸駅より徒歩10分
参拝時間/9:00~17:00
御祭神/経津主神(ふつぬしのかみ)
創建/665年
祈願/必勝祈願5,000円~
お守り/勝守・勝運袋 500円
問い合わせ先/03-3684-2813
HP
■ 椙森神社(すぎもりじんじゃ)
藤原秀郷公が平将門の乱鎮定のため戦勝祈願し、戦後白銀の狐像を奉納したとつたわります。
所在地/東京都中央区日本橋堀留町1-10-2
御祭神/倉稲魂の大神(うがのみたま)素戔嗚の大神(すさのう)大市姫の大神(おおいちひめ)大巳貴の大神(おおなむち)
大神 以上五社稲荷大神 恵比寿大神(相殿)
創建/不詳
祈願/
参拝時間/
お守り/
問い合わせ先/03-3661-5462
■ 兜神社(かぶとじんじゃ)
藤原秀郷公が平将門を討伐後その兜を埋めたという伝えがあります。平将門は朝敵となりましたが、スサノオの時代から朝敵を倒した後丁重に祀り”神上がり”していただくという行動を行っていたという記述があります。秀郷公は多くの神社造営に尽くしましたが、逆賊討伐後の始末もキチンとしていたことがうかがえます。
所在地/東京都中央区日本橋兜町1−12
御祭神/倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
創建/
祈願/
参拝時間/
お守り/
問い合わせ先/
■ 鎧神社(よろいじんじゃ)
古くは日本武尊が甲冑や武具を隠し置いたのが当社と言われていることや、当社の御祭神である平将門を討った藤原秀郷公が将門のよろいを治めたと伝わっており「よろい」の名の由来になっているそうです。
所在地/東京都新宿区北新宿3-16-18
御祭神/日本武尊(やまとたけるのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)平将門公(たいらのまさかど)
創建/
祈願/各種
参拝時間/
お守り/
問い合わせ先/03-3371-7324
HP
藤原鎌足(中臣鎌足)の祖神
佐藤家の家祖は「左衛門尉公清公」であったり、「相模波多野氏流佐藤信景公」だったりしつつ、その方々の実家の家祖は「藤原秀郷公」であり、藤原秀郷公の実家の家祖は「藤原鎌足(実質的にはその子不比等ともいわれる)公」※不比等公は大織冠神社に祀られる。
ではそのもとはというと「中臣氏」であり、中臣氏は祖神として天児屋根命(あまのこやねのみこと)をお祀りしています。つまり、多くの佐藤さんにとっての祖神は、祓詞を作った天児屋根命(あまのこやねのみこと)という神様に行きつきます。
藤原氏の祖神・天児屋根命(あまのこやねのみこと)
天児屋根命の名の由来は「日本の屋根を作った」という意味合いもあるそうです。それほどまでにスゴイ神様です。『ホツマツタヱ』に依ればアマノコヤネの父は大和の地を治めていた「カスガ殿(ココトムスビ)」。出雲の国の国譲りの功労者であるフツヌシの甥にあたるということです。フツヌシ(香取神)は甥アマノコヤネを、タケミカヅチの一人娘(一人姫)の婿にとすすめたということです。タケミカヅチ(鹿島神)は気に入り、ひとり姫(息栖神)と結婚させて鹿島の奥義をアマノコヤネに伝えます。香取神も家に伝わる奥義を譲ります。アマノコヤネという神は「春日・鹿島・香取・息栖」の奥義を全て受け継ぐスーパーエリートなのです。
天児屋根命を祀る神社
そのような立派な神ですから、全国の春日神社に祀られています。
■ 春日大社(かすがたいしゃ)
所在地/奈良県奈良市春日野町160
主祭神/武甕槌命(たけみかづちのみこと)経津主命(ふつぬしのみこと)天児屋根命(あまのこやねのみこと)比売神(ひめがみ)
お問い合わせ先/0742-22-7788
■ 枚岡神社(ひらおかじんじゃ)
650年に、天児屋根命が神上がりし祀られていた神津嶽から当地に遷座しました。768年には春日山本宮が創建され祀られるようになったので、当社は元春日とも呼ばれます。
所在地/大阪府東大阪市出雲井町7番16号
主祭神/天児屋根命(あめのこやねのみこと)比売御神(ひめみかみ)経津主命(ふつぬしのみこと)武甕槌命(たけみかづちのみこと)
御神徳/「神事宗源(しんじそうげん)」の神
お問い合わせ先/072-981-4177
■ 大原野神社(おおはらのじんじゃ)
長岡京に遷都された際に、藤原氏により創建されました。京春日の別名があります。
所在地/京都府京都市西京区大原野南春日町1152
主祭神/建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)伊波比主命(いわいぬしのみこと)天之子八根命(あめのこやねのみこと)比賣(ひめ)大神
御神徳/国家鎮護の社
お問い合わせ先/075-331-0014
藤原氏が祖神と祀る天児屋根命(あまのこやねのみこと)を祀る神社は、世界文化遺産に登録されるなどいまでも多くの人が足を運ぶ大きなお社です。
ところで『ホツマツタヱ』でアマノコヤネのご先祖をたどることができます。父は飛鳥の地を治めたココトムスビで、皇(すめらぎ)の秘儀ともいわれるすでに罷るも生き返る「タマガエシの業(ココストのミチ)」を完成させたというその人です。ココストとは言葉の生まれるところというような意味だと考えられます。宮中祭祀は「かかん のん てん」の役割を分けて執り行われましたが、ココストのミチを極めてココトムスビという名を持つカスガ殿は「かかん」を担当しました。
古代祭祀「かかん のん てん」の詳しいありさまはこちら
「かかん」とは降りてきた神が語る、とか神がかることを言うようです。父、ココトムスビの補佐を務めたのがアマノコヤネです。
興台産霊神(こことむすびのかみ)を祀る神社
藤原氏の祖神、天児屋根命の父興台産霊神(こことむすびのかみ)は住吉大社の児安社で「鈴なり」の御神徳をうたわれています。お神楽鈴が鳴るように、神様の言葉が生まれる瞬間をとらえる神様なのだと考えられます。言霊の神ですね。
■ 仲村神社(なかむらじんじゃ)
御祭神/己々都牟須比命(こことむすびのみこと)
所在地/大阪府東大阪市菱江2丁目2−50
問い合わせ先/072-964-9838
■ 住吉大社 児安社
御祭神/興台産霊神(こことむすびのかみ)
御神徳/鈴なり
所在地/大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
問い合わせ先/06-6672-0753
ちなみに、アマノコヤネの母アサカ姫はフツヌシと兄弟で、叔父甥の関係にあります。そのアサカ姫(幼名)はコトノマチヒメとして静岡の神社に祀られます。
■ 事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)
御祭神の父は玉主命とのことですが、おそらくは5代タカミムスビの子、ツワモノヌシである可能性があります。当社には耳の形をしたウロを持つ御神木があり、願いを聞き届けてくれるとひそかに人気を集めるパワースポットになっています。ということでアマノコヤネの母系コトノマチヒメのご先祖をたどればタカミムスビの系列になります。
御祭神/己等乃麻知比売命(ことのまちひめのみこと)
御神徳/ことだま、言葉で引き寄せ現実にする「ことよさし」
所在地/静岡県掛川市八坂642
問い合わせ先/0537-27-1690
また、アマノコヤネの祖父とも曾祖父ともされる「ツハヤムスビ」という神様が、『ミカサフミ』や忌部氏の文書である『古語拾遺(こごしゅうい)』に登場します。『古語拾遺』でツハヤムスビは、タカミムスビとカミムスビの間の「次男」とされるようですが、『ホツマツタヱ』によれば、タカミムスビは代々継ぐ役職でありカミムスビは第6代タカミムスビの事。だから、「タカミムスビが長男」という言い回しは、役職として「長」にあるという意味かもしれません。とすると「ツハヤムスビ」も役職なのでしょう。
ただ、『古事記』や『日本書紀』では消されている名であるので少々意味深にとってしまいますが、アマノコヤネがツヤハムスビの系統を全て受け取っていると考えれば、佐藤氏をはじめとする中臣氏や藤原氏から派生した氏族の祖神はアマノコヤネでありツハヤムスビだと考えられます。
津速産霊神(つはやむすびのかみ)を祀る神社
高皇産霊神の役割は政(まつりごと)全体を統括することで、体の弱い皇の時は輔弼としてその役割を担いました。神皇産霊神は、祭祀・ご神事を司り、津速産霊神はというと言霊・祝詞の神が子孫にあるところから、ご神事で降ろすべき神の言葉を集め結ぶ核心のお働きがあったのではないでしょうか。
■ 大和高田 天神社
御祭神/高皇産霊神(たかみむすびのかみ)神皇産霊神(かみむすびのかみ)津速産霊神(つはやむすびのかみ)
御神徳/天地創生の霊力をもった生成神
所在地/奈良県大和高田市三和町2番15号
問い合わせ先/0745-52-3382
「佐藤」さんの祖神
佐藤家の家祖をたどれば、佐藤公清公や佐藤信景公にたどり着きます。
佐藤公清公や佐藤信景公をたどれば、藤原秀郷公にたどり着きます。秀郷公は「佐藤」さんの遠津御祖神である可能性が高いということで、祀る神社・ゆかりの神社を16社取り上げました。その数からも立派な方だったことが伝わってきます。
そして藤原秀郷公の出は、藤原氏でありその家祖は藤原鎌足(中臣鎌足)です。鎌足公と子・不比等を祀る神社を2社あげました。
中臣鎌足の祖神は天児屋根命であり全国の春日神社約1,000社あるメジャーな神様です。さらにそのご先祖様方、津速産霊神(つはやむすびのかみ)などを祀る神社4社を取り上げました。
神様をたどればみんなが知る神様にたどり着きます。
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